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2026/04/05 18:32 |
再上陸中国・乌镇〈4/7〉|高公生糟坊・三白酒




烏鎭の見所のひとつ、高公生糟坊。ここでは特産品の三白酒造りを見ることが出来ます。

日本では詳しく紹介されているサイトが見つからないため、今回も烏鎭中文(簡体字)サイトを使って紹介します。翻訳にあたって、どうしてもわからない部分を彼女に手伝ってもらいました。
前回同様ツッコミ大募集。よろしくお願いします。
写真は訪問時に撮った2012年5月現在のものです。




その昔烏鎭の醸造業は非常に発達していたと言われており、明時代には醸造場は20余り、その中でも高公生・順興・永盛の三家は特に有名であった。現在、高公生糟坊を残すのみであり、もとの名を高公生醤園(※1)と言い、創業は明朝初年。
“三百酒”が産み出すそのコクと柔らかい飲み口、さっぱりとした後味、続く濃厚な香り。評判は遠く各地に広まり、明の太祖・朱元璋(※2)の南京での即位式典の時には、浙江省の巡撫(※3)高仲越は烏鎭高公生糟坊生産の三百酒を選び、貢ぎ物とし、皇室へ献上(正確には“朝貢”)した。高公生糟坊はこれにより気運も高まり、数百年もの江南一帯での人気を博し続け、以後衰えることはない。

醸造場は店舗と併設されている。売り場面積はおよそ90平方メートル、作業場は1,300平方メートル以上を占めている。1日の生産量は200リットル、現在主な製品は55度の三百酒・12度の白糯米酒・4度の甜白酒の3つである(※4)。この3種はすべて伝統の技術を取り入れ、手作業によって造られている。中でも三百酒は主力製品だ。

なぜ三白酒と云われるのか、《乌青镇志》(※5)によると“米・小麦粉・澄んだ水から成る故の名である”。(白酒の白は透明の意)キリッと澄み渡る旨味と甘い口当たりは性別年齢問わず飲むことができる。以前は春節(中国の正月)を迎えた農村で客人らに振る舞われ、烏鎭住民の間でこの酒のことを“杜搭酒”と呼ぶ。“ (×猫屎→○毛焐)芋艿杜搭酒,客人吃了不肯走”(※6)庶民達の間ではこのように唄われている。

三白酒は糯米を主原料とし、醸造工程はまず第一に糯米を蒸し、ざるに上げて冷水にて冷やす。それから、砕いた餅麹(※7)とむらなく混ぜ合わせる。それを酒がめに入れ、平らにし、中央に溝を掘り、その後蓋をして密封、さらに麦ワラや綿を覆い被せて保温。数日後、かめの中央の溝がすでに酒で満たされていれば、ぬるま湯を入れ、すべて浸るように調整、しっかりと蓋をして封をする。一週間後蓋を開け、蒸桶(甑)(※8)に入れて蒸留へ進み、このように二蒸二醸の後、酒となる。すでに瓶詰めの酒に慣れている現代人にとって、このような昔ながらの酒造りを見ることは希少だろう。
公生糟坊の大きな蒸籠からかめへ流れ落ちる美酒の滴りを眺めること、あるいは、長い年月を感じさせる長椅子に腰掛け、ちょいと一杯やるなんてのも、のんびりしていて、いいじゃないか。







(※1)【高公生糟坊/高公生醤園】 - 糟坊とは、ここでは“醸造(蒸留)場”のことですが基本的に現在のスーパーのような存在のことを指すようです。提供される商品は“柴米油盐酱醋茶”=“薪・米・油・塩・味噌・酢・お茶”。柴米は隠喩で“生活必需品”の意味も成すみたいです。そこに“酒”も入れてみましたといった具合でいい感じ。
醤園とは味噌や醤油の醸造元の意。

(※2)【朱元璋】 - しゅげんしょう。明の初代皇帝。貧農の生まれで、乞食同然の暮らしから身を起こし、一国の皇帝になった人物。『大明帝国 朱元璋』というドラマ(※リンク先音楽が流れます)が2006年に中国で放送され、日本でも2011年に放送、DVD化もされています。

(※3)【巡撫】 - じゅんぶ。朱元璋の年代は地方派遣される臨時官。第5代皇帝・宣徳帝即位の頃より常設、明代末期には地方管轄の地方官となり、清代には省の長官となり、と、まあとにかく偉くなってったらしいです。仕事の内容は先述の通り偉くなってった過程で多岐に渡り、その辺りの下り、中文読むのめんどくさくなっちゃったため詳しくは知りませんが、だいぶお忙しそうです。

(※4)【白糯米酒/甜白酒】 - どちらも飲んだ事が無いので調べた限りで。
白糯米酒はもち米で造った白い(=透明な)酒。中国サイトで調べると紹興酒の一種としてか、あるいは“糯米酒”の検索結果ばかりで、後者は甘酒。日本サイトでは甘みのある飲み口から調味料として使用する例が多く見られました。
甜白酒は“甜”=甘い白酒、甘酒です。写真を見るとどうも、飲むというより食うみたいな雰囲気です。
新しい情報が入り次第更新してお知らせします。

(※5)乌青镇志 - 金庸著及びドラマ《書劍恩仇録》でおなじみ清の6代皇帝・乾隆帝によって作られ、後に烏鎭出身者である卢学溥によって修繕された12冊の文献。烏鎭と青鎭の歴史、地理や風土などが記された歴史的資料。

(※6)“ (×猫屎→○毛焐)芋艿杜搭酒,客人吃了不肯走” - 烏鎭サイト内の原文では“猫屎”とされていますが、正しくは“毛焐”。これは、この地域の方言である桐郷語では“猫屎”と“毛焐”の発音が同じことから誤って伝わったものだという話です。
“毛焐芋艿”とは、皮をむかずに煮込む、あるいは蒸した芋のこと。
“杜搭酒”とは、自家製の米酒。
これらを踏まえて日本語訳すると、“蒸し芋あるいは煮芋と自家製米酒でもてなせば、客人は帰りたくなくなる”。
米酒と聞くと日本酒を連想させますが、古い呼び名を“醴(こざけ/[lǐ])”という現在の甘酒のようなもの。“南方常见的传统地方风味小吃(南方ではなじみある郷土料理)”と紹介されていました。現在でも春節のときに自家製の米酒でお客をもてなすことはまだあるのだそうです。


(※7)餅麹 - 穀類を粉砕、練り、発酵させた麹の一種で麯子(きょくし)ともいうそうです。

(※8)蒸桶=甑 - 甑(こしき)。古代中国発祥の米などを蒸すための用具。








敷地内には酒売り場があり、その隣には試飲コーナーが設けられています。三白酒は烏鎭を出ても購入可能です。




試飲コーナー・売り場の後ろにはすぐ三白酒の単式蒸留機。
製造過程を見ると“みりん”に近い印象ではありますが、ここから滴る美酒は55度の本格焼酎リミッター越え“超本格焼酎”。白酒の中でも55度ほど高い度数のものは多くない。
一口飲むと唇、舌先から五臓六腑へと焼け付くように染み込む旨味。後味はすっきり、爽やかな残り香。酒好きは病み付きになること間違い無し。日本ではお目にかかれない逸品なので確実に買い求めることをお勧めします。

帰り際、烏鎭の外の小さな個人商店で、荷物になるのが不安で手のひらサイズのミニ三白酒を買って帰りましたが、とても足りなくて後悔しています。
なめるように、ちびちびと飲んでは烏鎭の風景に思いを馳せる日々でございます。



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2012/10/15 08:50 | Comments(0) | 烏鎭2012年

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