2012年5月中国。旅の締めくくりは乌镇(烏鎮)。
烏鎮は上海・杭州の中間にある水郷古鎮。
2日間かけてゆっくりと観光してきました。
杭州に居た我々は鉄道で桐乡駅へ、そこから直通のバスで乌镇汽车站(wuzhen bus statiaon)。
烏鎮は西と東の景区にそれぞれ分かれていて、バス停からまず向かったのは東側。
どちらに行くにも徒歩だと多少時間がかかりますが、急ぐ理由もなし、学校や商店が建ち並ぶのんびりした町をぶらりぶらり歩きました。

のんびりしているというか閑古鳥鳴いてます。
歩いて向かう人はいないんでしょうか。
寂びれた商店街をぬけて大きな通りに出て右に曲がるとすぐ大きな門が見えます。入り口のようです。

写真では分かり辛いですが非常に道が悪いです。ほぼ舗装されてません。
東側の景区入り口まで来るといきなり観光地化。
巨大なパーキングにはツアーバスがたくさん見られます。なるほど途中の商店街に人がいないわけです。

チケット販売所付近まで来るとたいへんな賑わい。日本人の団体さんもいました。

こちらがチケット(表面)
フリーパス150元(約1800円)

東の景区は水郷古鎮の風景がほぼそのままの形で保存されていて、昔の江南の暮らしを知る展示物を収めたスペースが点在しています。
実際に暮らしている住民もいます。江ノ島を想像してもらうとわかりやすいかもしれません。
途中、日本語で「どうぞお入りください」と書いてあったので入ってみたらふつうに民家の入り口の前に出て慌てて引き返しました。

東側で見たもの、回にわけて紹介していきたいと思います。
それではまた次回。

烏鎮は上海・杭州の中間にある水郷古鎮。
2日間かけてゆっくりと観光してきました。
杭州に居た我々は鉄道で桐乡駅へ、そこから直通のバスで乌镇汽车站(wuzhen bus statiaon)。
烏鎮は西と東の景区にそれぞれ分かれていて、バス停からまず向かったのは東側。
どちらに行くにも徒歩だと多少時間がかかりますが、急ぐ理由もなし、学校や商店が建ち並ぶのんびりした町をぶらりぶらり歩きました。
のんびりしているというか閑古鳥鳴いてます。
歩いて向かう人はいないんでしょうか。
寂びれた商店街をぬけて大きな通りに出て右に曲がるとすぐ大きな門が見えます。入り口のようです。
写真では分かり辛いですが非常に道が悪いです。ほぼ舗装されてません。
東側の景区入り口まで来るといきなり観光地化。
巨大なパーキングにはツアーバスがたくさん見られます。なるほど途中の商店街に人がいないわけです。
チケット販売所付近まで来るとたいへんな賑わい。日本人の団体さんもいました。
こちらがチケット(表面)
フリーパス150元(約1800円)
東の景区は水郷古鎮の風景がほぼそのままの形で保存されていて、昔の江南の暮らしを知る展示物を収めたスペースが点在しています。
実際に暮らしている住民もいます。江ノ島を想像してもらうとわかりやすいかもしれません。
途中、日本語で「どうぞお入りください」と書いてあったので入ってみたらふつうに民家の入り口の前に出て慌てて引き返しました。
東側で見たもの、回にわけて紹介していきたいと思います。
それではまた次回。
PR
烏鎮東の景区、上の写真を見るととても観光地には見えませんね。
途中、腰掛けることの出来るスペースが続いていて、少し休憩のつもりが時間を忘れてしまいました。
水路を行く舟。洗濯物をすすぐ水の音。夕食の支度か何か、時折香る焦げた匂い。煙。
目の前に広がる古代中国江南の暮らしに、知らぬ間に魅了されているのです。生活に漂う哀愁は国籍に関わらず同じ匂いがあるのかもしれません。
さて、前回紹介した烏鎮のチケットの裏面を見て頂きます。
左端に並んでいる横線には見所が記載してあり、各所入り口でチケットを見せると入館済みの印として切符の如くパチンと穴を開けてくれます。
写真でお分かりのように、まあ、三カ所しか行ってねえじゃんかオイ、とツッコミが入りそうですが実際は六ヶ所訪れました。
入り口に人が居ない場所もあるという、ざっくばらんな観光名所、ということで。
その内のいくつかを紹介。
まず一カ所目、『百床馆(江南百床館)』
こちらでは古代から近代まで、江南で使用されていた多種多様の寝台が展示されています。
ちょっと見辛いですが。。。
階級や役職など、親等によっても寝台の規模や装飾が違うようです。
まー。詳しくはわかりませんが。純粋に「おお〜映画やドラマで見た事ある〜」と興奮してただけです。
他にいろいろ見ましたがちょっと膨大過ぎるので割愛。
『三百酒』『宏源染泰坊(藍染めの作業場)』は回を改めて。
服装の展示館なんかはおもしろかったですよ。
こういう服あこがれてて、中国に行くにあたってチャイナブルゾン(45rpm製作)を意気揚々と着てったら彼女の反応がイマイチでがっかりでした。
上海・田子坊にこういうのいくつか売ってて「欲しい欲しい」って言ってたのに「ああそうなの」みたいな感じだもんで私少々おむずかりでした。
話を戻して烏鎮。
ずいーっと歩いていくと広場に出ます。
↓
※上演されていたものは《花鼓戏》という湖南地方の“小戏(少人数で演じる劇)”。中国無形物文化遺産。
さらに進むと、土産物屋がたくさんありますが、ずんずん進むと怪しい雰囲気に。
このまま景区抜けて民家、普通の町に出てしまいそうな雰囲気だったので引き返し、小腹満たしにちょいと入った名も知らぬ店。
これが大当たり。
应家桥,访卢阁付近の軒先でチマキとか売ってる店です。行けばすぐわかります。
中でも食べられて、ここで食べた羊肉のらーめんが激ウマ。
※過去記事・拉面|中国のラーメン参照
彼女は酒酿圆子(後日彼女曰く、差不多。)を注文。
ずいぶん僻地にある店だからなのか観光地にしてはそんなにお値段高くなく、アットホームな雰囲気なこのお店、おすすめです。
ではまた次回。
乌镇・東の景区の見所のひとつが《宏源泰染坊》。
東側には藍染め、西には色とりどりの草木染めを見ることが出来ます。
烏鎭日本語サイトにはあまり詳しく説明が無いので、中国語サイトのものを翻訳して以下に記載します。
原文はこちら↓
【烏鎭中国語(簡体字)サイト|景点紹介・宏源泰染坊】
そもそもの自分自身の中国語能力の限界、染め物の専門用語もあり、かなりザックリいってますのでツッコミ募集します。よろしくお願いします。
中国の蓝印花布(【lán yìn huā bù】- 藍印花布(※1))は世界に名高く、烏鎭はその生産地のひとつである。
宏源泰染坊は宋の元年にはじまり、以前は南の地区にあったが、清の光緒帝(11代皇帝)によって現在の所在地へ移り、藍印花布作り・製品を集散する拠点となる。
藍印花布、俗称“石灰拷花布”“拷花藍布”は千年以上もの染め物の歴史を持つ中国伝統民芸品であり、言い伝えによると農夫・葛洪(※2)が妻のために作ったとされ、安価に出来て品も良く、以後ずっと庶民の間で流行っている。
その原料は手織り木綿、染料はすべて農村から集めた庶民達による手作業で、農家の側・あぜ道など普段良く見かけることの出来る草木・草花を題材にしたデザインは郷土の息吹に満ちており、温もりを感じ、清新であり、そして洗練された優美さを持つ2色の藍と白、鮮やかな庶民と民族の特色を備え、民間工芸美術の中でも際立っている。
以前は江南一帯の農村の家という家すべてが藍印花布を使っていて、カーテン・頭巾・エプロン・ふろしき・掛け布団・テーブルクロスなど、すべて藍印花布から作っていた。西側の藍印花布収蔵館の中には多くの藍印花布制品が展示されている。
藍印花布は今もなお祖先の残した技術を受け継いでおり、紋様設計から下絵、塗り、干し、それらはクリーンで汚染の無い事が特徴なので益々の寵愛を受けている。
宏源泰染坊ではこれらの過程を実演によって見る事ができ、店舗内ではいくつかの藍印花布制品を購入も出来る。
向かいには藍印花布原料の作業場があり、おばちゃん達が綿を紡ぎ綿布を織る姿を見る事ができ、藍印花布がどのように織られ、かわいらしい模様がどのように作られるかを知る事ができる。
(※1)印花布(いんかふ)とは藍染め(型染め)の中国での呼び名。沖縄の伝統的染色技術である型染め“紅型(びんがた)”のルーツとも言われています。
(※2)葛洪(【gé hóng】- かっこう)は東晋朝中国の道教学者・煉丹術士・医薬学者。wikipediaには丹薬製造の伝記が記載されていますが、道教研究家・著述家と紹介されています。
藍染め制品はどれも素敵で、烏鎭に来たら立ち寄ってみてください。
また、この東の景区内の店舗にしか売ってない商品がたくさんありますので、気に入ったものがあればその場で購入されることをお勧めします。
自分は荷物になるからと、外出ても土産物屋に置いてあるだろうと、買い物はその時にまとめて、という思いが半分、そして彼女が「あるんじゃねえか」と言うのでその言葉を信じたのが半分、
結果売ってなくて悔しい思いをしました。
思い立ったが吉日、ということで。
まあ、ぶらぶらするだけでも、それだけでも吉日。
ということで。
また次回。
次回は酒です。
烏鎭の見所のひとつ、高公生糟坊。ここでは特産品の三白酒造りを見ることが出来ます。
日本では詳しく紹介されているサイトが見つからないため、今回も烏鎭中文(簡体字)サイトを使って紹介します。翻訳にあたって、どうしてもわからない部分を彼女に手伝ってもらいました。
前回同様ツッコミ大募集。よろしくお願いします。
写真は訪問時に撮った2012年5月現在のものです。
その昔烏鎭の醸造業は非常に発達していたと言われており、明時代には醸造場は20余り、その中でも高公生・順興・永盛の三家は特に有名であった。現在、高公生糟坊を残すのみであり、もとの名を高公生醤園(※1)と言い、創業は明朝初年。
“三百酒”が産み出すそのコクと柔らかい飲み口、さっぱりとした後味、続く濃厚な香り。評判は遠く各地に広まり、明の太祖・朱元璋(※2)の南京での即位式典の時には、浙江省の巡撫(※3)高仲越は烏鎭高公生糟坊生産の三百酒を選び、貢ぎ物とし、皇室へ献上(正確には“朝貢”)した。高公生糟坊はこれにより気運も高まり、数百年もの江南一帯での人気を博し続け、以後衰えることはない。
醸造場は店舗と併設されている。売り場面積はおよそ90平方メートル、作業場は1,300平方メートル以上を占めている。1日の生産量は200リットル、現在主な製品は55度の三百酒・12度の白糯米酒・4度の甜白酒の3つである(※4)。この3種はすべて伝統の技術を取り入れ、手作業によって造られている。中でも三百酒は主力製品だ。
なぜ三白酒と云われるのか、《乌青镇志》(※5)によると“米・小麦粉・澄んだ水から成る故の名である”。(白酒の白は透明の意)キリッと澄み渡る旨味と甘い口当たりは性別年齢問わず飲むことができる。以前は春節(中国の正月)を迎えた農村で客人らに振る舞われ、烏鎭住民の間でこの酒のことを“杜搭酒”と呼ぶ。“ (×猫屎→○毛焐)芋艿杜搭酒,客人吃了不肯走”(※6)庶民達の間ではこのように唄われている。
三白酒は糯米を主原料とし、醸造工程はまず第一に糯米を蒸し、ざるに上げて冷水にて冷やす。それから、砕いた餅麹(※7)とむらなく混ぜ合わせる。それを酒がめに入れ、平らにし、中央に溝を掘り、その後蓋をして密封、さらに麦ワラや綿を覆い被せて保温。数日後、かめの中央の溝がすでに酒で満たされていれば、ぬるま湯を入れ、すべて浸るように調整、しっかりと蓋をして封をする。一週間後蓋を開け、蒸桶(甑)(※8)に入れて蒸留へ進み、このように二蒸二醸の後、酒となる。すでに瓶詰めの酒に慣れている現代人にとって、このような昔ながらの酒造りを見ることは希少だろう。
公生糟坊の大きな蒸籠からかめへ流れ落ちる美酒の滴りを眺めること、あるいは、長い年月を感じさせる長椅子に腰掛け、ちょいと一杯やるなんてのも、のんびりしていて、いいじゃないか。
(※1)【高公生糟坊/高公生醤園】 - 糟坊とは、ここでは“醸造(蒸留)場”のことですが基本的に現在のスーパーのような存在のことを指すようです。提供される商品は“柴米油盐酱醋茶”=“薪・米・油・塩・味噌・酢・お茶”。柴米は隠喩で“生活必需品”の意味も成すみたいです。そこに“酒”も入れてみましたといった具合でいい感じ。
醤園とは味噌や醤油の醸造元の意。
(※2)【朱元璋】 - しゅげんしょう。明の初代皇帝。貧農の生まれで、乞食同然の暮らしから身を起こし、一国の皇帝になった人物。『大明帝国 朱元璋』というドラマ(※リンク先音楽が流れます)が2006年に中国で放送され、日本でも2011年に放送、DVD化もされています。
(※3)【巡撫】 - じゅんぶ。朱元璋の年代は地方派遣される臨時官。第5代皇帝・宣徳帝即位の頃より常設、明代末期には地方管轄の地方官となり、清代には省の長官となり、と、まあとにかく偉くなってったらしいです。仕事の内容は先述の通り偉くなってった過程で多岐に渡り、その辺りの下り、中文読むのめんどくさくなっちゃったため詳しくは知りませんが、だいぶお忙しそうです。
(※4)【白糯米酒/甜白酒】 - どちらも飲んだ事が無いので調べた限りで。
白糯米酒はもち米で造った白い(=透明な)酒。中国サイトで調べると紹興酒の一種としてか、あるいは“糯米酒”の検索結果ばかりで、後者は甘酒。日本サイトでは甘みのある飲み口から調味料として使用する例が多く見られました。
甜白酒は“甜”=甘い白酒、甘酒です。写真を見るとどうも、飲むというより食うみたいな雰囲気です。
新しい情報が入り次第更新してお知らせします。
(※5)乌青镇志 - 金庸著及びドラマ《書劍恩仇録》でおなじみ清の6代皇帝・乾隆帝によって作られ、後に烏鎭出身者である卢学溥によって修繕された12冊の文献。烏鎭と青鎭の歴史、地理や風土などが記された歴史的資料。
(※6)“ (×猫屎→○毛焐)芋艿杜搭酒,客人吃了不肯走” - 烏鎭サイト内の原文では“猫屎”とされていますが、正しくは“毛焐”。これは、この地域の方言である桐郷語では“猫屎”と“毛焐”の発音が同じことから誤って伝わったものだという話です。
“毛焐芋艿”とは、皮をむかずに煮込む、あるいは蒸した芋のこと。
“杜搭酒”とは、自家製の米酒。
これらを踏まえて日本語訳すると、“蒸し芋あるいは煮芋と自家製米酒でもてなせば、客人は帰りたくなくなる”。
米酒と聞くと日本酒を連想させますが、古い呼び名を“醴(こざけ/[lǐ])”という現在の甘酒のようなもの。“南方常见的传统地方风味小吃(南方ではなじみある郷土料理)”と紹介されていました。現在でも春節のときに自家製の米酒でお客をもてなすことはまだあるのだそうです。
(※7)餅麹 - 穀類を粉砕、練り、発酵させた麹の一種で麯子(きょくし)ともいうそうです。
(※8)蒸桶=甑 - 甑(こしき)。古代中国発祥の米などを蒸すための用具。
敷地内には酒売り場があり、その隣には試飲コーナーが設けられています。三白酒は烏鎭を出ても購入可能です。
試飲コーナー・売り場の後ろにはすぐ三白酒の単式蒸留機。
製造過程を見ると“みりん”に近い印象ではありますが、ここから滴る美酒は55度の本格焼酎リミッター越え“超本格焼酎”。白酒の中でも55度ほど高い度数のものは多くない。
一口飲むと唇、舌先から五臓六腑へと焼け付くように染み込む旨味。後味はすっきり、爽やかな残り香。酒好きは病み付きになること間違い無し。日本ではお目にかかれない逸品なので確実に買い求めることをお勧めします。
帰り際、烏鎭の外の小さな個人商店で、荷物になるのが不安で手のひらサイズのミニ三白酒を買って帰りましたが、とても足りなくて後悔しています。
なめるように、ちびちびと飲んでは烏鎭の風景に思いを馳せる日々でございます。
2012年5月10日。
烏鎭東栅景区をまったり散策した我々は西栅へと移動。
東から西へは定期運行しているバスがあります。
停留所にてソフトクリーム売り場に目が留り、
「ソフトクリーム食べたい」と言うと
余計な買い物が嫌いな彼女に
「買ってくればいいじゃん自分で」と
つっけんどんに言われてショボンとしながらバスを待っておりました。
バスに関しまして、運行時刻表はありますがその通りに走ってるか怪しいので、入る前に運行時間の確認をしておくと良いでしょう。そして小さなバスのため乗車の勢いに押されて乗れないということも考えられます。
東・西間は歩くには厳しい距離です。

こちらが西の玄関口。
入ると左側にカウンターがあり、そこで西柵景区内の宿泊施設“烏鎭民宿”のチェックインをします。チェックインを確認した紙を渡されるので帰りまで無くさないようにしましょう。
チェックインカウンターから、さらに渡し船で移動します。

乗り場は係員が誘導してくれます。
向こう岸には桟道を通って徒歩で行くことも可能でした。(※以前は通行出来なかったらしく、観光客の増加による対応かもしれません)
乗船時間は5分程。元宝湖という、烏鎭鎭区内最大の湖で11,600平方メートルあるということです。

船に揺られながら、沈む夕日を眺めます。
岸に着き、左に進むとメインストリート“西柵大街”、この通りにずらっと民宿が並び、様々な店舗が点在しています。
我々がお世話になった民宿はメインストリートに入ってすぐ、“民宿总台(ここで最終的にチェックアウトします)”のお隣、民宿番号3番(甲)。民宿には番号はふられていて、さらに“甲”“乙”に分かれています。

至る所に宿泊客が残したこの民宿へのメッセージが貼られていました。
奥が台所と食事スペース。
食事中だった宿主が茶碗持ったまんま対応してくれて、この感じいいなあ、と。

古代中国の家屋をそのまま活かした非常に風情のある造り。
しかし部屋は生活するに足る設備が揃っており、アメニティも充実していました。
スリッパなんてこんなに可愛くて履き心地も良い。

私は足が大きくて、ホテルの簡易スリッパは足を“つっかける”だけで、ほぼ素足状態。
しかしながらこの烏鎭スリッパ。履いていると馴染んで足のサイズに合うのです。売ってねえかなと思いましたね。
彼女はアメニティの“くし”を気に入って持って帰りました。
部屋の窓からは烏鎭の水路と街並を見渡せ、るといえば見渡せるのですが、我々の窓は構造的に(エアコンの室外機あったり)全開にすることが出来ず少々残念。
ですが、流れる水の音や木々のざわめき、雑踏。中国に来てこんなにゆっくりした時間の流れを感じる事ができるのかと驚きました。
本来、中国はこのように穏やかだったのだろうかと、感傷にひたったりひたらなかったり。
外はすっかり日が暮れて、烏鎭に夜がやってきました。

次回は素敵な夜の景色を紹介します。
烏鎭東栅景区をまったり散策した我々は西栅へと移動。
東から西へは定期運行しているバスがあります。
停留所にてソフトクリーム売り場に目が留り、
「ソフトクリーム食べたい」と言うと
余計な買い物が嫌いな彼女に
「買ってくればいいじゃん自分で」と
つっけんどんに言われてショボンとしながらバスを待っておりました。
バスに関しまして、運行時刻表はありますがその通りに走ってるか怪しいので、入る前に運行時間の確認をしておくと良いでしょう。そして小さなバスのため乗車の勢いに押されて乗れないということも考えられます。
東・西間は歩くには厳しい距離です。
こちらが西の玄関口。
入ると左側にカウンターがあり、そこで西柵景区内の宿泊施設“烏鎭民宿”のチェックインをします。チェックインを確認した紙を渡されるので帰りまで無くさないようにしましょう。
チェックインカウンターから、さらに渡し船で移動します。
乗り場は係員が誘導してくれます。
向こう岸には桟道を通って徒歩で行くことも可能でした。(※以前は通行出来なかったらしく、観光客の増加による対応かもしれません)
乗船時間は5分程。元宝湖という、烏鎭鎭区内最大の湖で11,600平方メートルあるということです。
船に揺られながら、沈む夕日を眺めます。
岸に着き、左に進むとメインストリート“西柵大街”、この通りにずらっと民宿が並び、様々な店舗が点在しています。
我々がお世話になった民宿はメインストリートに入ってすぐ、“民宿总台(ここで最終的にチェックアウトします)”のお隣、民宿番号3番(甲)。民宿には番号はふられていて、さらに“甲”“乙”に分かれています。
至る所に宿泊客が残したこの民宿へのメッセージが貼られていました。
奥が台所と食事スペース。
食事中だった宿主が茶碗持ったまんま対応してくれて、この感じいいなあ、と。
古代中国の家屋をそのまま活かした非常に風情のある造り。
しかし部屋は生活するに足る設備が揃っており、アメニティも充実していました。
スリッパなんてこんなに可愛くて履き心地も良い。
私は足が大きくて、ホテルの簡易スリッパは足を“つっかける”だけで、ほぼ素足状態。
しかしながらこの烏鎭スリッパ。履いていると馴染んで足のサイズに合うのです。売ってねえかなと思いましたね。
彼女はアメニティの“くし”を気に入って持って帰りました。
部屋の窓からは烏鎭の水路と街並を見渡せ、るといえば見渡せるのですが、我々の窓は構造的に(エアコンの室外機あったり)全開にすることが出来ず少々残念。
ですが、流れる水の音や木々のざわめき、雑踏。中国に来てこんなにゆっくりした時間の流れを感じる事ができるのかと驚きました。
本来、中国はこのように穏やかだったのだろうかと、感傷にひたったりひたらなかったり。
外はすっかり日が暮れて、烏鎭に夜がやってきました。
次回は素敵な夜の景色を紹介します。

