2013年1月29からおよそ3日間の上海滞在を、すでに3月に突入する現在に至って尚だらだらと書き連ねておるわけですが、初日・翌日と、いわゆる“日系”のサービス・商品に触れてきた前回までを番外編と銘打ってまとめよう、というのが今回の趣旨であります。
さて、中国のサービス、と聞いて何を思い浮かべるでしょう?
愛想が無い、雑である、質が悪い…などなど、そんな感じでしょうか?
では、日本のサービス、と聞いて何を思い浮かべるでしょう?
明朗快活、迅速丁寧、…まあ、こんなふうですか?
それでは最後に、サービス、とは何ですか?
即答できたかたは、パソコンの電源を切って映画館や美術館へ行かれた方が時間の使い方として有意義であると思われます。以下はそんな内容です。
わたしは中国にはそう何度も足を運んだわけではありませんが、中国においてサービスの質が悪いだとかそういう事は感じたことがありません。
なんだそりゃ〜とツッコミを入れたくなる場面や、もうちょっと何かあるだろ…と辟易、なんて事はしばしばありましたが、そういう時中国人である彼女の「まあ中国だからしょうがない」という類(とこっちが勝手に思っている)の、ため息/時々憤慨、という、曲がりに曲がったつむじを眺めては「ああ、まあそういうもんなんだねぇ」とほのぼのと暢気に構えていました。
わたくし個人の超大雑把な性格故ってこともあり…
彼女はよく、中国はサービスが悪いと言うのですが、
例えば、レストランで座った席のテーブルが汚れていたら、店員に「汚れてるね」って言えばいいじゃん、と思いますし、布巾があれば拭けばいいじゃん自分で、と思うのですね。
細かいことを言えばキリが無いのですが、わたしはそれらが「サービスがなってない」道理では無いと考えています。
日系の店に行くと、そういう細かいことを徹底している、いわゆる“日本のサービス”を展開していて、店員の人達は、はきはきと元気な声で本当に一生懸命です。
手拭くティッシュかなんか欲しいな、と何気なく言ったら出してもらえて、そういえば以前行った中国のレストラン(南京か、杭州か)有料じゃなかったっけ…と思ったりして、
あたりまえの事があたりまえである、という恐怖を感じました。
わたしは日本の過剰なサービスが好きではありません。
お客様のため、客もそれ故に謙虚さを失うような関係を好みません。
必要とされるものは提供され、要求が供給を超えたとしても需要として提供されなければならないという空気を居心地悪く思います。
それは“おもてなし”ではありません。
「いらっしゃいませ、って気持ち良く挨拶しててさ、別にそれでいいんでないの?それを日系サービスとか言い出したら変な話にならない?」
一生懸命な店員を眺めてそんなふうに思いました。
そんなことを話している中で興味深い話を聞きました。
日本のお菓子は中国人にとっては甘すぎる、のだそうです。
コーヒーも濃すぎるんだとか。ちょっと意外ですね。
その時食べていた“あんぱん”は、どこからどう見たって“あんぱん”で、一口食べたら“あんぱん”で、最後まで堂々たる“あんぱん”だったわけで、これを甘すぎると評された日には、それはもう“あんぱん”としての存在意義を失い、“あんぱん”の世界基準と定義のために国連総会を開かなくてはなりません。
それは大変なことです。
であれば、中国人目線で“あんぱん”の再構築をすれば良いのです。
サービス然り、日本から何か商品を持ち込む時、あるいは持ち込んでから、今それらを提供している場所(地域)に根ざしたものを考えていくという行為に至っている企業や店舗は少ないように感じます。
これは日本のものです、はいどうぞ、と出てきたものが本物であれば言う事は無いのですが、わたしが見た限りそれらはコピーでしかなく、正直つまらないと感じました。
それもそのはず、日系、という“商品”を提供するのは中国に住む中国人なわけですから、無理が生じるのは当然で、日系「を」提供するのではなくて、日系「が」まず彼らに提供する、これは広義で環境のことですが、そういう努力無しに「日本のものです、はいどうぞ」としている感じがしてなりませんでした。
サービスというのは、こと日本の“おもてなし”は、すべての人にとっての環境の共有なのではないか、このように思うのです。
さて、中国のサービス、と聞いて何を思い浮かべるでしょう?
愛想が無い、雑である、質が悪い…などなど、そんな感じでしょうか?
では、日本のサービス、と聞いて何を思い浮かべるでしょう?
明朗快活、迅速丁寧、…まあ、こんなふうですか?
それでは最後に、サービス、とは何ですか?
即答できたかたは、パソコンの電源を切って映画館や美術館へ行かれた方が時間の使い方として有意義であると思われます。以下はそんな内容です。
わたしは中国にはそう何度も足を運んだわけではありませんが、中国においてサービスの質が悪いだとかそういう事は感じたことがありません。
なんだそりゃ〜とツッコミを入れたくなる場面や、もうちょっと何かあるだろ…と辟易、なんて事はしばしばありましたが、そういう時中国人である彼女の「まあ中国だからしょうがない」という類(とこっちが勝手に思っている)の、ため息/時々憤慨、という、曲がりに曲がったつむじを眺めては「ああ、まあそういうもんなんだねぇ」とほのぼのと暢気に構えていました。
わたくし個人の超大雑把な性格故ってこともあり…
彼女はよく、中国はサービスが悪いと言うのですが、
例えば、レストランで座った席のテーブルが汚れていたら、店員に「汚れてるね」って言えばいいじゃん、と思いますし、布巾があれば拭けばいいじゃん自分で、と思うのですね。
細かいことを言えばキリが無いのですが、わたしはそれらが「サービスがなってない」道理では無いと考えています。
日系の店に行くと、そういう細かいことを徹底している、いわゆる“日本のサービス”を展開していて、店員の人達は、はきはきと元気な声で本当に一生懸命です。
手拭くティッシュかなんか欲しいな、と何気なく言ったら出してもらえて、そういえば以前行った中国のレストラン(南京か、杭州か)有料じゃなかったっけ…と思ったりして、
あたりまえの事があたりまえである、という恐怖を感じました。
わたしは日本の過剰なサービスが好きではありません。
お客様のため、客もそれ故に謙虚さを失うような関係を好みません。
必要とされるものは提供され、要求が供給を超えたとしても需要として提供されなければならないという空気を居心地悪く思います。
それは“おもてなし”ではありません。
「いらっしゃいませ、って気持ち良く挨拶しててさ、別にそれでいいんでないの?それを日系サービスとか言い出したら変な話にならない?」
一生懸命な店員を眺めてそんなふうに思いました。
そんなことを話している中で興味深い話を聞きました。
日本のお菓子は中国人にとっては甘すぎる、のだそうです。
コーヒーも濃すぎるんだとか。ちょっと意外ですね。
その時食べていた“あんぱん”は、どこからどう見たって“あんぱん”で、一口食べたら“あんぱん”で、最後まで堂々たる“あんぱん”だったわけで、これを甘すぎると評された日には、それはもう“あんぱん”としての存在意義を失い、“あんぱん”の世界基準と定義のために国連総会を開かなくてはなりません。
それは大変なことです。
であれば、中国人目線で“あんぱん”の再構築をすれば良いのです。
サービス然り、日本から何か商品を持ち込む時、あるいは持ち込んでから、今それらを提供している場所(地域)に根ざしたものを考えていくという行為に至っている企業や店舗は少ないように感じます。
これは日本のものです、はいどうぞ、と出てきたものが本物であれば言う事は無いのですが、わたしが見た限りそれらはコピーでしかなく、正直つまらないと感じました。
それもそのはず、日系、という“商品”を提供するのは中国に住む中国人なわけですから、無理が生じるのは当然で、日系「を」提供するのではなくて、日系「が」まず彼らに提供する、これは広義で環境のことですが、そういう努力無しに「日本のものです、はいどうぞ」としている感じがしてなりませんでした。
サービスというのは、こと日本の“おもてなし”は、すべての人にとっての環境の共有なのではないか、このように思うのです。
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