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2026/04/05 18:23 |
震災後
2012年3月11日。
東日本大震災から一年が経ちました。
未だ多くの方々が苦難の渦中にある中で、わたしが出来る事などごく限られておりますが、少なくとも出来る事を少しずつ積み重ねてゆければと想っています。

当時、地震直後は事の重大さを気付く間もなく、えも言われぬ恐怖の中テレビやパソコン等の情報機器を復旧させる事に一心不乱でした。
ある程度状況を把握した後は、嵐の去った後のような状態の部屋で靴のまま、茨城に住む家族の安否が不安で何度も吐き気と目眩を起こしながら電話を掴んで右往左往していた事以外記憶にありません。
数時間後に連絡が取れ、無事でした。給湯器が倒れて風呂場直撃してめんどくせーことになったなーとか言ってたな。


彼女は日本滞在期間を終えすでに中国に戻っていて、その後の中国の様子も教えてくれました。
デマによる中国国内の塩買い占め等、報道される前に彼女の話で耳にしていました。

中国国内で日本の放射能汚染に対する不安が高まっていることは明白であり、彼女がすぐに日本へ行きたいとか、わたしが中国へ行き彼女の両親や叔父達に会う約束も二の足を踏まざるを得ず、放射能対策として中国の空港での日本人観光客への測定強化は追い打ちをかけました。

いろいろと押し問答の後、
結局わたしは2011年9月に中国へ向かいました。
そこで待っていたものは何の憂いも無く、
上海浦東空港ではまさに“歓迎光臨”でしたし、南京で彼女の叔父達に本当に優しくして頂きました。
日本で見聞きする中国の報道というのは実際の中国国内とは様子が異なるんだな、と肩の力が抜けてすっかり楽しんで帰国。
同時に、報道というのはその国のイメージを形作ってしまう程の力をもつのだと恐ろしくもなりました。
“国が行い国が考えること”と“その国民が想うこと”はまったく別の話。

震災後、もちろん中国に限った話ではありませんが、日本に残って暮らす中国の人達を多く見ました。一緒に働いたりしました。
わたしが例えば異国で震災に遭ったらもの凄く不安な日々でしょう。彼らはすごいと純粋に思います。
そういう彼ら、また、国外から応援の声を届けてくれる人達を不安にさせないためにも、日本人は日本人として背筋を伸ばし前を向いてゆかなければと思うのです。

冒頭で述べた通り、
わたしには出来る事は少ないかもしれませんが、ほんの少しでも積み重ねてゆければと思います。

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2012/03/11 22:40 | Comments(0) | 雑記

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