上海編続き。中国上陸2日目。
南京東路から大肠(腸)面を食べに地下鉄10号線南京東路駅から老西門駅へ。(※しつこいですが大肠面は改めて面館レポ書きます)
老西門駅からひとつ戻れば豫園、進めば新天地ですが今回の目的は『田子坊』。
8号線〜9号線と乗り継いで打浦橋駅。
駅構内自体新しいが駅ビルのように商業施設と繋がっていて、写真で見た田子坊のイメージとあまりにも違うので面食らった。
地上へ出ると、

謎の生き物が。
サンマルクカフェもある。

サンマルク=聖摩柯。
聖摩柯。
恋を忘れた哀れな男でも、しびれるような、こはく色した飲みものでたちまち若い娘に恋をしちゃうような珈琲が出てきそうな文字のビジュアル。
あれはモカ・マタリか。愛的珈琲伦巴。
それにしても繁体字?
台湾ご当地もんや酒も売ってて何のこっちゃと思ったらここは『日月光中心広場』という巨大ショッピングモール。資本が台湾の人らしい。
で、本題『田子坊』は目の前。
とにかく入ってみましょう。

クラクラするほどの活気。
店舗も観光客も多国籍。
多種多様なアート・ギャラリースペース。
民家もあって生活感もある。
キラキラした電飾に下着がぶら下がってたりするんです。さすがにそれは撮影しませんでしたが。
(※住居スペースですよー的な注意書きもあります。観光地だからといってむやみにカメラを向けないように。撮りたいときは一声、ですかね)


田子坊は1998年までは現在のような空間ではなく定期市がある普通の通りで、1998年末、画家の陳逸飛さんがアトリエを開いたことから始まり、多くのアーティストが集まり、それに合わせて商店も開かれて拡大していった場所。
1999年に画家の黄永玉さんがこの地を訪れ、中国の古い画家であり賢人の名である“田子方”から命名。
(方と坊は音が同じfāng。坊、はザックリ言うと小さなひとつの集まりの単位。女子十二楽坊、の場合はバンドだけどそういう感じ。日本も古くは市町村の区画の単位として使われていたらしい)
地名はあくまで泰康路。
秋葉原は外神田、みたいな感じ。
(ソース・リンクは百度百科)
田子坊自体はまだ比較的新しい観光スポットなんですね。
周辺には昔からあるような雰囲気のある店を見つけることも出来ます。
新旧多国籍入り交じり、芸術のパワーも相まってこの熱気が生まれるのでしょう。
こちら全体図。※クリックで拡大

立体版。

彼女の上海に済む友人が夕食を一緒に食べようと連絡があったということであまり時間が無く、写真は少ないですがすべて回ることが出来た。中はそんなに広くはない。
欲しいものや寄りたいカフェはたくさん。
こちらが田子坊のはじまりの通り。

グルメ的なものはこちらだけ。

宝珠奶酪(田子坊店)

名前忘れたけど一番プレーンなやつ。
例えるならフルーチェ。
そしてこのあと彼女の友人達と夕食を。
中国のウナギだっつってたけどどうみてもナマズをたっぷりの香辛料で煮たものがテーブルにドーンと置かれて皆で貪り食う。
食べ終わり、友人が立ち上がり伝票を手に掴みレジカウンターへ、
これは、と察知して私が財布をカバンから取り出すと、彼女が「早く財布を出せ」と強奪。
友人と彼女はお互い「私が払う」と会計のお兄さんにお金を出し合って譲らずお兄さん苦笑。
私も遠くから苦笑。
そして友人達と別れて上海タワーへ。こちらは次回。
それにしても、
私の語学力(会話)は年齢にすると2歳とかそのくらいのレベルなんだが
友人達と食事中「はおちー」言うたら「ん〜(*´ω`)」とか、
ぼくはこどもじゃないゾ。

南京東路から大肠(腸)面を食べに地下鉄10号線南京東路駅から老西門駅へ。(※しつこいですが大肠面は改めて面館レポ書きます)
老西門駅からひとつ戻れば豫園、進めば新天地ですが今回の目的は『田子坊』。
8号線〜9号線と乗り継いで打浦橋駅。
駅構内自体新しいが駅ビルのように商業施設と繋がっていて、写真で見た田子坊のイメージとあまりにも違うので面食らった。
地上へ出ると、
謎の生き物が。
サンマルクカフェもある。
サンマルク=聖摩柯。
聖摩柯。
恋を忘れた哀れな男でも、しびれるような、こはく色した飲みものでたちまち若い娘に恋をしちゃうような珈琲が出てきそうな文字のビジュアル。
あれはモカ・マタリか。愛的珈琲伦巴。
それにしても繁体字?
台湾ご当地もんや酒も売ってて何のこっちゃと思ったらここは『日月光中心広場』という巨大ショッピングモール。資本が台湾の人らしい。
で、本題『田子坊』は目の前。
とにかく入ってみましょう。
クラクラするほどの活気。
店舗も観光客も多国籍。
多種多様なアート・ギャラリースペース。
民家もあって生活感もある。
キラキラした電飾に下着がぶら下がってたりするんです。さすがにそれは撮影しませんでしたが。
(※住居スペースですよー的な注意書きもあります。観光地だからといってむやみにカメラを向けないように。撮りたいときは一声、ですかね)
田子坊は1998年までは現在のような空間ではなく定期市がある普通の通りで、1998年末、画家の陳逸飛さんがアトリエを開いたことから始まり、多くのアーティストが集まり、それに合わせて商店も開かれて拡大していった場所。
1999年に画家の黄永玉さんがこの地を訪れ、中国の古い画家であり賢人の名である“田子方”から命名。
(方と坊は音が同じfāng。坊、はザックリ言うと小さなひとつの集まりの単位。女子十二楽坊、の場合はバンドだけどそういう感じ。日本も古くは市町村の区画の単位として使われていたらしい)
地名はあくまで泰康路。
秋葉原は外神田、みたいな感じ。
(ソース・リンクは百度百科)
田子坊自体はまだ比較的新しい観光スポットなんですね。
周辺には昔からあるような雰囲気のある店を見つけることも出来ます。
新旧多国籍入り交じり、芸術のパワーも相まってこの熱気が生まれるのでしょう。
こちら全体図。※クリックで拡大
立体版。
彼女の上海に済む友人が夕食を一緒に食べようと連絡があったということであまり時間が無く、写真は少ないですがすべて回ることが出来た。中はそんなに広くはない。
欲しいものや寄りたいカフェはたくさん。
こちらが田子坊のはじまりの通り。
グルメ的なものはこちらだけ。
宝珠奶酪(田子坊店)
名前忘れたけど一番プレーンなやつ。
例えるならフルーチェ。
そしてこのあと彼女の友人達と夕食を。
中国のウナギだっつってたけどどうみてもナマズをたっぷりの香辛料で煮たものがテーブルにドーンと置かれて皆で貪り食う。
食べ終わり、友人が立ち上がり伝票を手に掴みレジカウンターへ、
これは、と察知して私が財布をカバンから取り出すと、彼女が「早く財布を出せ」と強奪。
友人と彼女はお互い「私が払う」と会計のお兄さんにお金を出し合って譲らずお兄さん苦笑。
私も遠くから苦笑。
そして友人達と別れて上海タワーへ。こちらは次回。
それにしても、
私の語学力(会話)は年齢にすると2歳とかそのくらいのレベルなんだが
友人達と食事中「はおちー」言うたら「ん〜(*´ω`)」とか、
ぼくはこどもじゃないゾ。
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