2012年3月11日。
東日本大震災から一年が経ちました。
未だ多くの方々が苦難の渦中にある中で、わたしが出来る事などごく限られておりますが、少なくとも出来る事を少しずつ積み重ねてゆければと想っています。
当時、地震直後は事の重大さを気付く間もなく、えも言われぬ恐怖の中テレビやパソコン等の情報機器を復旧させる事に一心不乱でした。
ある程度状況を把握した後は、嵐の去った後のような状態の部屋で靴のまま、茨城に住む家族の安否が不安で何度も吐き気と目眩を起こしながら電話を掴んで右往左往していた事以外記憶にありません。
数時間後に連絡が取れ、無事でした。給湯器が倒れて風呂場直撃してめんどくせーことになったなーとか言ってたな。
彼女は日本滞在期間を終えすでに中国に戻っていて、その後の中国の様子も教えてくれました。
デマによる中国国内の塩買い占め等、報道される前に彼女の話で耳にしていました。
中国国内で日本の放射能汚染に対する不安が高まっていることは明白であり、彼女がすぐに日本へ行きたいとか、わたしが中国へ行き彼女の両親や叔父達に会う約束も二の足を踏まざるを得ず、放射能対策として中国の空港での日本人観光客への測定強化は追い打ちをかけました。
いろいろと押し問答の後、
結局わたしは2011年9月に中国へ向かいました。
そこで待っていたものは何の憂いも無く、
上海浦東空港ではまさに“歓迎光臨”でしたし、南京で彼女の叔父達に本当に優しくして頂きました。
日本で見聞きする中国の報道というのは実際の中国国内とは様子が異なるんだな、と肩の力が抜けてすっかり楽しんで帰国。
同時に、報道というのはその国のイメージを形作ってしまう程の力をもつのだと恐ろしくもなりました。
“国が行い国が考えること”と“その国民が想うこと”はまったく別の話。
震災後、もちろん中国に限った話ではありませんが、日本に残って暮らす中国の人達を多く見ました。一緒に働いたりしました。
わたしが例えば異国で震災に遭ったらもの凄く不安な日々でしょう。彼らはすごいと純粋に思います。
そういう彼ら、また、国外から応援の声を届けてくれる人達を不安にさせないためにも、日本人は日本人として背筋を伸ばし前を向いてゆかなければと思うのです。
冒頭で述べた通り、
わたしには出来る事は少ないかもしれませんが、ほんの少しでも積み重ねてゆければと思います。
東日本大震災から一年が経ちました。
未だ多くの方々が苦難の渦中にある中で、わたしが出来る事などごく限られておりますが、少なくとも出来る事を少しずつ積み重ねてゆければと想っています。
当時、地震直後は事の重大さを気付く間もなく、えも言われぬ恐怖の中テレビやパソコン等の情報機器を復旧させる事に一心不乱でした。
ある程度状況を把握した後は、嵐の去った後のような状態の部屋で靴のまま、茨城に住む家族の安否が不安で何度も吐き気と目眩を起こしながら電話を掴んで右往左往していた事以外記憶にありません。
数時間後に連絡が取れ、無事でした。給湯器が倒れて風呂場直撃してめんどくせーことになったなーとか言ってたな。
彼女は日本滞在期間を終えすでに中国に戻っていて、その後の中国の様子も教えてくれました。
デマによる中国国内の塩買い占め等、報道される前に彼女の話で耳にしていました。
中国国内で日本の放射能汚染に対する不安が高まっていることは明白であり、彼女がすぐに日本へ行きたいとか、わたしが中国へ行き彼女の両親や叔父達に会う約束も二の足を踏まざるを得ず、放射能対策として中国の空港での日本人観光客への測定強化は追い打ちをかけました。
いろいろと押し問答の後、
結局わたしは2011年9月に中国へ向かいました。
そこで待っていたものは何の憂いも無く、
上海浦東空港ではまさに“歓迎光臨”でしたし、南京で彼女の叔父達に本当に優しくして頂きました。
日本で見聞きする中国の報道というのは実際の中国国内とは様子が異なるんだな、と肩の力が抜けてすっかり楽しんで帰国。
同時に、報道というのはその国のイメージを形作ってしまう程の力をもつのだと恐ろしくもなりました。
“国が行い国が考えること”と“その国民が想うこと”はまったく別の話。
震災後、もちろん中国に限った話ではありませんが、日本に残って暮らす中国の人達を多く見ました。一緒に働いたりしました。
わたしが例えば異国で震災に遭ったらもの凄く不安な日々でしょう。彼らはすごいと純粋に思います。
そういう彼ら、また、国外から応援の声を届けてくれる人達を不安にさせないためにも、日本人は日本人として背筋を伸ばし前を向いてゆかなければと思うのです。
冒頭で述べた通り、
わたしには出来る事は少ないかもしれませんが、ほんの少しでも積み重ねてゆければと思います。
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上野ふくまめにて“なかむら”を入れたと聞き、嬉しくてツイートでは収まらずブログに。
なかむらは鹿児島県の中村酒造場の芋焼酎である。
酒は好きだが知識は薄いので詳しくは知らないし、別にそれで良いと思っている。
興味として本や雑誌で読む程度で、本当に好きなら蔵まで出向くだろう。
そしてなにより全て味に出ている。
なかむらとの出会いは今から6年ほど前。
川崎市、元住吉で逆境を浴び辛酸を舐めまくって廃人となっていた頃。
バーで知り合った博多長浜ラーメンの店主に頂いたのがそれである。
当時、豚骨ラーメンも芋焼酎も苦手だったが逆転した。
そのラーメン店は元住吉駅近くにあり、駅を出て少し歩くと豚骨臭が漂い、店内はヌルヌル。
ラーメンを食べれば口元がパリパリになってしまう程ゲンコツを炊いた気合い入った店。
飲んでみろ、と、閉店後に店の奥から出されたのが“なかむら”だった。
一口飲むと過去に飲んだ芋臭さが嘘のような甘さ。しかし芋焼酎の存在感。豊かな香り。
まさに目から鱗。
ラーメンも然り。
浅はかな価値観の崩壊、そして何より、抜け殻だった自分に貴重な酒を差し出してくれた人との出会い。
澱んだ心の灰汁が取り払われた。
程なくして店は閉店してしまった。
豚骨臭が近隣住民にとっては共存出来なかった。
店主は住民の意見を汲み、店を畳んだ。
しかし全ての人が「美味しいのだが…」と複雑な心境だったらしい。
私個人としても、実際博多へ行ってラーメンに食い倒れてきたがあの味には出会えなかった。
なかむらは、それ以来、口にしていなかった。
今、また“なかむら”に出会う。
求めずして。
これからの活力として堪能して帰ることにする。
今改めて訪れた、人生の分岐点。
酒は旨いものを求めるよりも、自身を鼓舞して、あるいは“されて”出会うものであると考える。
その瞬間、
その瞬間、
己の心の行き先次第で、それだけで酒は旨いのだから。
なかむらは鹿児島県の中村酒造場の芋焼酎である。
酒は好きだが知識は薄いので詳しくは知らないし、別にそれで良いと思っている。
興味として本や雑誌で読む程度で、本当に好きなら蔵まで出向くだろう。
そしてなにより全て味に出ている。
なかむらとの出会いは今から6年ほど前。
川崎市、元住吉で逆境を浴び辛酸を舐めまくって廃人となっていた頃。
バーで知り合った博多長浜ラーメンの店主に頂いたのがそれである。
当時、豚骨ラーメンも芋焼酎も苦手だったが逆転した。
そのラーメン店は元住吉駅近くにあり、駅を出て少し歩くと豚骨臭が漂い、店内はヌルヌル。
ラーメンを食べれば口元がパリパリになってしまう程ゲンコツを炊いた気合い入った店。
飲んでみろ、と、閉店後に店の奥から出されたのが“なかむら”だった。
一口飲むと過去に飲んだ芋臭さが嘘のような甘さ。しかし芋焼酎の存在感。豊かな香り。
まさに目から鱗。
ラーメンも然り。
浅はかな価値観の崩壊、そして何より、抜け殻だった自分に貴重な酒を差し出してくれた人との出会い。
澱んだ心の灰汁が取り払われた。
程なくして店は閉店してしまった。
豚骨臭が近隣住民にとっては共存出来なかった。
店主は住民の意見を汲み、店を畳んだ。
しかし全ての人が「美味しいのだが…」と複雑な心境だったらしい。
私個人としても、実際博多へ行ってラーメンに食い倒れてきたがあの味には出会えなかった。
なかむらは、それ以来、口にしていなかった。
今、また“なかむら”に出会う。
求めずして。
これからの活力として堪能して帰ることにする。
今改めて訪れた、人生の分岐点。
酒は旨いものを求めるよりも、自身を鼓舞して、あるいは“されて”出会うものであると考える。
その瞬間、
その瞬間、
己の心の行き先次第で、それだけで酒は旨いのだから。

